2015年03月14日
「山の名画」を観る
2015.3.14.
山に登られる方は、絵を描かれる方が多いように感じます。
今回は「山の名画」について掲載します。

今、石橋美術館にて「かぞえて楽しむ」と言うテーマ展が開催されています。
展示絵画の中に「山の名画」が展示されていますので、興味がある方は この機会にぜひご覧になられたら、いいと思います。

主な展示絵画は・・・・・・
◆サント・ヴィクトワール山 1010m(林 倭衛)・・・南フランス
エクス・アン・プロヴァンスにある山です。セザンヌが生まれた
地方です。
◆上高地 1500m (吉田 博 )
◆桜島 1117m (梅原龍三郎)
◆新高山 3952m (藤島武二)・・・台湾中央部にある玉山
のこと 台湾を領有していた時期に富士山を抜いて日本一の
山となり、新高山と言われた。
◆嵐山 382m (川村曼舟)
◆富士山 3776m (鈴木基一)・・・江戸時代 「富士筑波図
屏風」
◆筑波山 877m (鈴木基一)
◆水縄山風景 (坂本繁二郎)
◆阿蘇五景 (坂本繁二郎)
他





素晴らしい「山の絵画」をぜひこの機会に・・・・・。
..............................


山に登られる方は、絵を描かれる方が多いように感じます。
今回は「山の名画」について掲載します。

今、石橋美術館にて「かぞえて楽しむ」と言うテーマ展が開催されています。
展示絵画の中に「山の名画」が展示されていますので、興味がある方は この機会にぜひご覧になられたら、いいと思います。
主な展示絵画は・・・・・・
◆サント・ヴィクトワール山 1010m(林 倭衛)・・・南フランス
エクス・アン・プロヴァンスにある山です。セザンヌが生まれた
地方です。
◆上高地 1500m (吉田 博 )
◆桜島 1117m (梅原龍三郎)
◆新高山 3952m (藤島武二)・・・台湾中央部にある玉山
のこと 台湾を領有していた時期に富士山を抜いて日本一の
山となり、新高山と言われた。
◆嵐山 382m (川村曼舟)
◆富士山 3776m (鈴木基一)・・・江戸時代 「富士筑波図
屏風」
◆筑波山 877m (鈴木基一)
◆水縄山風景 (坂本繁二郎)
◆阿蘇五景 (坂本繁二郎)
他

素晴らしい「山の絵画」をぜひこの機会に・・・・・。
..............................


Posted by MMK at
21:35
│Comments(0)
2015年03月05日
カラ迫山
2015.3.9.
今回は星野にある カラ迫山(1006m)に登りました

カラ迫山は福岡やぶこぎ探検隊で「福岡県無名山301山」に紹介された山で、それまでは熊渡山(960m)がこの地域で一番高い山とされていたが、これを越えて1番高い山になりました。
その後の調査でカラ迫岳が最も高い山となったが、いまだ国土地理院の地図にも表示されてはおらず、単なるピークとして標高のみが記され、山名の記入はありません。
ここが登山口です

登山口駐車場は、右手に5〜6台止められ、すぐ左手のコンクリート敷きを登って行く。
まもなくすぐ左手に国境石の説明板や山頂への道標が立てられている、道標には、カラ迫岳まで1650mと案内している。
この道標は、山頂までほぼ100mごとに立てられよく整備された山で、行く手に迷いのない山です。
案内板です

登山道は幾度か沢を渡ります

金鉱山横穴の跡です

国境石

星野村教育委員会の資料によれば、下記のように書かれています。
旧久留米藩・天領日田国境石(福岡県指定文化財 史跡)
指定年月日 平成9年7月25日
久留米藩が幕府に提出した国絵図にも「此所より御前嶽迄ノ間、山国境不相知」と記されているように、藩政時代を通して天領日田との間に熊渡山一帯での国境争いが絶えませんでした。
古文書調査の結果、方位と通し番号を付した藩境石(全部で78本)が埋設されたのは、慶応3年(1867)であることが明らかになりました。
このようにまとまった形での藩境石の存在は珍しく、貴重な歴史的遺産といえます。
国境石案内

山頂にて記念写真

山頂からの展望 釈迦・御前岳が遠望できます

写真提供:田代 会員
今回は星野にある カラ迫山(1006m)に登りました

カラ迫山は福岡やぶこぎ探検隊で「福岡県無名山301山」に紹介された山で、それまでは熊渡山(960m)がこの地域で一番高い山とされていたが、これを越えて1番高い山になりました。
その後の調査でカラ迫岳が最も高い山となったが、いまだ国土地理院の地図にも表示されてはおらず、単なるピークとして標高のみが記され、山名の記入はありません。
ここが登山口です
登山口駐車場は、右手に5〜6台止められ、すぐ左手のコンクリート敷きを登って行く。
まもなくすぐ左手に国境石の説明板や山頂への道標が立てられている、道標には、カラ迫岳まで1650mと案内している。
この道標は、山頂までほぼ100mごとに立てられよく整備された山で、行く手に迷いのない山です。
案内板です
登山道は幾度か沢を渡ります
金鉱山横穴の跡です
国境石
星野村教育委員会の資料によれば、下記のように書かれています。
旧久留米藩・天領日田国境石(福岡県指定文化財 史跡)
指定年月日 平成9年7月25日
久留米藩が幕府に提出した国絵図にも「此所より御前嶽迄ノ間、山国境不相知」と記されているように、藩政時代を通して天領日田との間に熊渡山一帯での国境争いが絶えませんでした。
古文書調査の結果、方位と通し番号を付した藩境石(全部で78本)が埋設されたのは、慶応3年(1867)であることが明らかになりました。
このようにまとまった形での藩境石の存在は珍しく、貴重な歴史的遺産といえます。
国境石案内
山頂にて記念写真
山頂からの展望 釈迦・御前岳が遠望できます
写真提供:田代 会員